
他の伊坂幸太郎作品を読んで、同じようなものを期待すると悪い意味で裏切られる
本作は伊坂幸太郎の作品の中でも異色作だと思います。
他の伊坂幸太郎作品を読んで、同じようなものを期待すると悪い意味で裏切られます。
本作は、一見するとマクベスのストーリーを知っていることが作品を理解するための必要条件のように思えます。
しかし、作中でマクベスについて説明してくれている上、マクベスを読んだことがあるからと言って、『あるキング』をより深く読み解けるわけではない気がしています。
深読みPoint! Fair is foul, and foul is fair. (きれいはきたない、きたないはきれい。)
Fair is foul, and foul is fair. (きれいはきたない、きたないはきれい。)
『あるキング』は『マクベス』のこの文章について、考え膨らませてできた小説なのではないか、という印象を受けました。
逆に言うと、これ以上に作品で伝えていることが無いような気すらしてきます。
Fair is foul, and foul is fair.
ここで、私のではないブログ記事の一部を抜粋して紹介させていただきます。
フェアに生きる事がファウルをもたらす事があれば、ファウルがフェアをもたらす事もある。そもそも、フェアがフェアなのかファウルなのかも明確には分からない。本書を読んでいると、そういう事を考えますよね。当初物語を読んでいて、王求はフェアな存在だと思っていましたが、あまりに王求が強すぎて、王求の存在そのものがアンフェア、つまりファウルだとも思えてきました。
本やらなんやらの感想置き場 伊坂幸太郎「あるキング」感想—フェアはアンフェア、アンフェアはフェア。
まさに『あるキング』という小説は Fair is foul, and foul is fair. という言葉について考え、読者にも考えてほしいために、
- フェアともファウルとも付かない存在として、主人公の王求という人物を作り、
- フェアともファウルとも付かない筋書きを書き、
- フェアともファウルとも付かない作品評価を得ている。(『あるキング』という小説自体の評価)
…という状態になっていると思います。
この、作品評価までも作者が意図的に作り出した感じがするので、好意的に受け取ってみると興味深いですね。
深読みPoint! より多角的にこの作品を読みたい方へ
もう一つ、より深くこの作品を楽しむために、読んでおくとよいかなと思う他ブログ記事を紹介します。
「伊坂さんが書きたかったのは「野球小説」ではなくて、「神話」なのだ」…というのはその通りだと思いましたし、全体的に読む視点としておもしろい感想だと思いました。